暮らしとムダ。
たまにコンビニへ行くと、なぜかトラベル用品のコーナーに足が向かってしまいます。
そこにはたくさんのスキンケアグッズや細々とした日用品がコンパクトに収まったリキッドバッグなんかが売っていたり、持ち歩き用に小さくなったワックスやスプレーなんかが売っていたりする。
僕としてはその半分くらいは使っていない物なので買ってもムダではあるのだけれど、その収納アイディアにあやかるためについ買ってしまうこととかもあって。その結果として自分の身の回りの物たちがアップデートされたりなんかもする。
そう考えると進歩ってムダ空生まれ得るのかもしれないなあと思ったりもする今日この頃なのでした。
そんなこんなで本日は、そんな暮らしとムダのお話を。
ムダってなんだろう??
そもそもムダってなんでしょう?
僕の考えるムダの定義は
『生きる為に必要ない全てのもの』
栄養さえ摂れてればカロリーメイトだけでも良いかもしれないし、雨や風が防げるのなら屋根と壁さえあれば良いのかもしれない。
ムダを自体を定義してしまうとこういうことになって、何かミニマリストを『修行僧』のように捉えている人は、たぶん『ミニマリスト』を『ムダのない人』と履き違えているのではないかと思っている。
実際にそういうミニマリストの方もいるのであながち間違いではないのですが、それは果たして幸せなんでしょうか?
ムダが発見に繋がる
その答えを僕なりに出すのであれば、『最終的には人それぞれ』としか言いようがありません。
僕の中でのミニマリストの定義は『自分の中の最小限を知っている人』のことで、要は知ってさえいれば良いと思っています。
なぜなら「僕はこれくらいのお金と物があれば十分幸せに暮らせる」と言う基盤があれば、何か失敗をしたり、病気や怪我を追ってしまってもその『十分幸せな最小限の自分』に着地することができるから。
要するに何か転落した時のセーフティネット的な役割をしてくれると言うこと。
だからそれ以上の暮らしをすることも、逆に言えばそれ以下の暮らしをすることもゲームとして楽しんでおくくらいが良いのじゃないかと思っています。
それ以下の暮らしって楽しいのかって話ですけど、これはこれで無駄が多くて、それでいて色々な発見があったりもします。
例えば僕の場合なら、便利なはずの電子レンジを「使わない」って決めて生活をしてみています。
それは去年の夏にアウトドア関連の遊びにハマってしまったことによって、
『今屋外に放り出されても生きていけるのか?』
なんてことについて考えるようになったから。
でもそんなことってほぼ起こり得ないし、多分考えるだけ無駄なまま一生を終えそうな気もします。
でも電子レンジを使わないと決めることで、例えば湯煎袋と言うものを知りました。普通のポリ袋とは違って耐熱性があって、お湯の中に入れて温めたりことができるというもの。
これによって僕は『蒸す』という今までの自分の持ち物ではできなかった調理法を発見しました。
こんな風に一見ムダに思えることにも、いやムダなものからこそ新しい発見があったりするから面白い。
子供の頃にしたキックベースだって「バットがないけど野球をしたい」からだったりしますよね。
だから修行僧のようなミニマリストを見かけたら「それって不便じゃん」じゃなくて、「そう言うゲームをしているんだな」っていう目でみてやってください。
程度の差はあれ、僕もその一人ですし。
たおの好きなムダ(=趣味)
そんな感じで話してきましたが、ムダを削っていった上で残ったムダは趣味だと思ってます。
僕の場合なら、
◻︎楽器
◻︎書籍
◻︎ガジェット
◻︎ミニマリスト👈
◻︎etc...
実はミニマリストもムダ(趣味)の1つと言うのは前述した通りで、ミニマリズムによるムダの探求から、新しい発見を見出すとかいうゲームを楽しんでいるのかなあ...
(「〇〇なし生活」は不便だけどゲームとして楽しいから辞められんのよなあ)
そんなことを思いつつ。
趣味って『生存のために必須なもの』ではありません。
でも趣味は間違いなく人生を豊かにします。
それをムダだから不要と捉える人はいないはず。
だからミニマリストとかいう『ムダ』も、少しは許容してくだされ、楽しいので。
なんだかまとまりのない文章だけど、今回はそんな感じで終わりたいなと思います。
それでは最後までご覧頂きありがとうございました。