都市伝説が好きなんです。
今日もYouTubeを観ています。
「SNSに取られる時間を減らしましょう」とかSNSで言いつつも、僕自身がけっこう自分に甘い方だからなんだかんだで毎日観てたりする。
そしてそんな僕は都市伝説が結構好きで、都市伝説系のYouTuberも何個もチャンネル登録してるくらい。
それぞれのチャンネルの解釈の違いを楽しみつつ、今夜も眠りに落ちるのでしょう。
と、いう事で今回は都市伝説からの情報メディアの選び方とかの話を。
都市伝説ってデタラメ言ってんのかと思いきや、意外と同じデータを見ながら違う解釈をしているだけだったりするのがさいきん面白いなぁと思っているところ。
— たお|シンプルライフ (@tao_diary) 2021年2月9日
(なんて、NewsPicksとかで科学に基づく(っぽい)話を聞きつつYouTubeで都市伝説的な話を聞いていると思ったりする。)
そもそも都市伝説っていつ出る?
そんなこんなで都市伝説がけっこう好きなんです。
話は少し逸れますが、都市伝説って社会が不安定な時に活発になりますよね。
今の社会に不満があるからこそ、「自分の手が及ばない何か」のせいにしたくなるのが人間なのだと思う。
だから今は、特に色々な都市伝説が出回ってるんだと思います。
僕もそんな1人なのかもしれないけれど(まあずっと好きだから分からないけれど )。
そんな都市伝説(とか陰謀論)をもちろん全部鵜呑みにしてるわけじゃないです。
でも
「この歴史をそういう風に解釈するんだ」
みたいな視点で見ると新鮮で、個人的にはけっこう好きだったりもするんですよね。
けっきょく解釈の問題
そんな風な社会情勢もあってか、世の中色々な説が出ている。
その中で僕が思うのが、それらって「どれが正しい」とか言うよりも「解釈の問題」だったりする。
メディアも何者かが作り上げている以上、それぞれの解釈があるのは仕方ない。
だから
「この人/このメディアが言ってるから」
は本当に良くなくて、他の解釈に触れたり自分で情報元を調べに行くのがより大切になるのだと思う。
(今更っぽい意見だけどね )
最近ハマってるメディア
そんな事もあって個人的には
「しっかりと元の情報は自分で調べてください」
っていうスタンスが見てとれるメディアとか発信者が好きなのだと思う。
そういうメディアはそう言っている事もあってある程度の客観性があるしソースを見られて困るような偏向報道はしない事が多い。
逆にそうじゃない
「これだけ見れば時代は読める!」
「〇〇が××だから△△だ!」
みたいなのはあんまり信用してない。
そんな上で個人的に好きなのが次の3つのメディア。
①と②の解釈が全然違うから面白いなぁとか往復してます。
特に今のコロナ関連のトピックについては、「科学的に見ればそうだけど確かにそういうメディアは解釈もあるよなぁ」とか思ったりして面白いです。
どんなに裏打ちされて正しいように見えても、多方向からの解釈を見てみることは大切だと感じています。
そんな対立構造を客観的に見る知見を与えてくれるのが③。
歴史の解説をしてくれるPodcastです。出演されてる3人の掛け合いが凄く面白いし、歴史に対して客観的であろうとする真摯さみたいなものも感じられて凄く勉強になります。「コレで無料?」って位にコンテンツが充実してます。
④元は「東方プロジェクト」というゲームのキャラで、それをゆるキャラ化して自動音声をあてているのがこのコンテンツ(初音ミクの会話版みたいなイメージ)。色んな方が解説動画を出していますが、総じてニッチなんですよね。ニュースサイトではまず得られないような知識が沢山得られてとても楽しいです。
というわけで僕が主に観ているメディアを紹介してみました。
特に今回は「その人の専門分野に関係なく面白い」ものを選んでみたので、興味を持って頂けた方はぜひチェックしてみてください。
それでは最後までご覧頂きありがとうございました。
時計と1日。
朝起きると、僕はすぐに出発時間を決めてその10分前にアラームを掛けます。
バイト先の休憩時間には15分のタイマーを設定するし、遊びの予定の2時間前にはリマインダーがやってくる。
帰れば服を洗濯機に入れて9時間後に予約、寝る前には次の日の目覚ましを掛けて眠りにつく。
時間は大切、時計は便利。
だけどなるべく時計は見ないように心掛けてる。
てなわけで今日はそんな時間とかエネルギーの使い方のお話を。
僕はスキマ時間が現れた時に
— たお|シンプルライフ (@tao_diary) 2021年2月17日
『終了3分前にアラームを掛ける』
ようにしています。
コレをするだけで「あと何分かな?」と時計をチラ見することがなくなって、物理的にも精神的にも時間の有効活用ができるようになります。
こんな風に“外注“する能力って、
凄く大切だなぁとか思う今日この頃。
スキマ時間、どう過ごしてますか?
あなたスキマ時間ってどうやって過ごしてますか?
別に意識の高い話をする気はないし何に時間を使うかは人それぞれです。だから「スキマ時間は自己投資に!」みたいな事を言うつもりはないんです。
ただ、
『時計をチラチラ気にしているタイム』
だけは勿体ないと思うのです。
だから何をするにしても区切りの時間までアラームを掛けてしまう
『アラーム依存症』
に掛かっちゃってるのが今の僕です。
アラームで賢く忘れる
そんなこんなでアラームを活用しまくってるけど、その理由としてはそれによって忘れられる事って結構あるなぁって考えているから。
ゆで卵も水から入れちゃって18分タイマーで放ったらかしだったり、休憩時間も入った瞬間にタイマー掛ければ読書タイムに出来るし。
冒頭に書いたような話も同じような理由だし、考えてみれば目覚ましだってその時間まで安心して寝る為にかけてる訳ですよね。
賢く忘れる術のまとめ
今回はアラームの事を中心に話してきましたがそういう風に
「余計な事(その時に必要のない事)」
を頭の中から追い出すことって生きてゆく上で大切だなぁと個人的には考えていて。
そこで基本的な事ばかりですが僕が実践している「賢く忘れる術」を軽くまとめてみました。
- アラームを活用
- 手帳アプリ
- メモを取る
- リスト作り
◻︎アラームを活用
Aをし始めた時に、すぐBとの区切りの時間にアラームを掛けてしまう。こうするとその時間内はある程度は時間を気にせずその場の事に集中できます。「時計をチラチラ見てる時間」って本当に勿体ないと思います。
◻︎手帳アプリ
手帳“アプリ“と言っているのは、「○時間前」と指定して通知が受け取れるから。手帳は声を出せないけど、アプリなら忘れてても声を掛けてくれます。あと、他人との共有のし易さも良いですね。
◻︎メモを取る
何か気になっている事があったら、とりあえずメモに書くようにしています。そしてそんな時に、現代人の手元にはいつもスマホがある。「送るか悩んでるメッセージ」なんかも、とりあえずメモ内に作成するようにしてます(後で手直しできるしね)。
◻︎リスト作り
メモだけじゃなく、リストまで作成すると凄く良いです。何かをゼロから考えるのって時間が掛かるけど、リストになってしまえばある程度自動的に進められるようになります。頭の中で覚えておかなくても良いから記憶力のない僕としては有難い限りです。
世は情報過多の時代。
上手く頭の中も外注することで、日々を有意義に過ごして行けたら良いですね。
最後までご覧頂きありがとうございました。
物を減らす意味って?
最近は部屋のアイテムを見直しています。
近いうちにまた環境の変化がありそうで、それに伴って自分の心境も変化していってる。
「このアイテムなら完璧だ!」
とか思っても、やっぱり時間が経ったり、環境の変化だとかで改善点が出てきてきっとそれの繰り返しなんだろうなぁと思う今日この頃なのでした。
そんな訳で今日は久々にミニマリスト的なお話を。
減らせば良いもんじゃないってのはごもっともなんだけどさ、やっぱり「極限まで減らさないと見えてこないコト」ってあるよね。
— たお|シンプルライフ (@tao_diary) April 13, 2021
“当たり前“で終わってる事って多い気がする
「〇〇はあって当たり前だよね」
で終わってる事って身の回りに多い気がします。
「当たり前」 「常識」 「べき」
的な言葉は分かりやすくて快適な一方で、僕らを考える事から遠ざけさせます。
でも、新しいライフスタイルやサービスって大概そういう「当たり前を再考する」所から出てると思うんですよね。
だから何でもかんでも新しく変える必要もないのだけど、当たり前を見つめ直すのは大切だなって思います。
理解ではなく実感を得る
そんな風に当たり前を再考して実感を得るって事がすごく大切だなぁと思います。
例えば僕が
「電子レンジなしで生活してみる」
って言った時、
「流石に不便過ぎるでしょ」
って言われました。
結果的には今も時々使ってるんです。 でも頻度はすごく減った。
なぜかって
「ないと不便」
という理解から
「不便だけど必須ではない」
という実感に変わったから。
この違いって分かりにくいけど、とても大切な事だなって考えてます。
ミニマリストがはじめに減らす物リスト
という事で今回は
「ミニマリストがはじめに減らす物」
について。
全員がミニマリストになる必要はないけれど、部屋が片付かず困ってる人は多いはず。
増え過ぎた物を減らす第一ステップになれば良いなって思います。
- 収納グッズ
- 美容品
- 書籍
- 衣類
食器
収納グッズ
ヤドカリって貝の大きさに合わせて身体が大きくなっていきます。物と収納グッズの関係もそれと一緒で、収納場所が増えるほど物もそれを埋める様にどんどん増えていくんですよね。だからまずは、過剰な収納グッズを減らす事から始めてみると良いと思います。
- 美容品
化粧水、美容液、乳液、サプリメントなどなど…。こういう物って人によっては次々に手を出して増えがちですよね。おそらく今使ってる物以外はもう使いません。思い切って捨てちゃっても殆ど後悔する事はないと思いますよ。
- 書籍
「いつか読もう」と言って積み上がっている本、たくさんありませんか?僕も本は好きなので難しいところですが、“所有しておきたい本“って意外と少ないもの。読み切ってから手放したい場合は、メルカリに出品したりして期限を決めちゃうのも良いですね。
- 衣類
趣味の物を減らす必要はないと考えてる派なので、ファッション好きな人はムリして減らす必要はないと思います。でも、そうではない人でも服で溢れてるパターンはよくあるかと思います。個人的にはハードオフで一気に手放すのがオススメです。
- 食器
コレも料理が趣味な人からしたら減らしにくいところ。でも、用途が同じ食器を幾つも持ってませんか?コレもハードオフで一気に処分したり、個人的には友達に譲るのもアリかなって思ってます。
これらの物っていずれも
「無意識に溜まりがち」
なことが多いんですよね、、
勿体ないと捨てれないなら、期間を決めて保留もオススメですよ。
(コレすれば大体捨てれると思います)
最後までご覧頂きありがとうございました。
つらい時は、窓を閉め切って。
昨日は友達と焼肉食べに行ってきました。
その時にインターンの話になって、そいつが言うには「東京の人よりも関西の人よりも距離が近くて団結力もあるように感じる」のだそう。
なんでかなあと考えた時に、『東京は世界と多少距離を取っていないと自分を守れない』ような街で、そんな中で暮らしてきた人たちはそう言うクセが身についていて、人間関係にもそれが出ているのかもなあと思った。
僕自身も東京で暮らしたことがあるけれど、僕のような小心者はイヤホンなしでは生きてけないし、コロナとか関係なくずっとマスクつけてた記憶があります。
そんな風に『距離をとる事』って、自分を守る事って大切だけど、人付き合いの上ではもしかしたら弊害になる部分もあるのかもなあなんて感じたのでした。
(一応補足しておくとそういう傾向があるのかもってだけです、と言うかその比較で言うなら僕自身も『東京側』の人間ですしね)
心を開くと傷つく事ばっかりだ、、
— たお|シンプルライフ (@tao_diary) 2020年12月28日
“すれっからし“って知ってますか?
“すれっからし“って知ってますか?
『様々な経験を通じて悪賢くなること』
を言うらしく僕自身も最近知った言葉です。
あんまり良い意味では使われなそうだけど、それは自分の判断基準や価値観が定着してるから一概に悪いとも言えない気がするなあと思う。
と言うのも、生きていく上で世界の全てに触れることはできないのだから、そんな風にある部分では『すれっからしになっておく』ことは大切な時間やエネルギーの節約にもなるし、そのぶん大切なものに時間を避けたりもするのだと思う。
自分の出来る範囲で心を開けたら。
そんな風に思うくらい、僕には心を常に開けておけるほどの器はないのです。
人目を気にしがちで騒がしい所が苦手な僕には情報量が多すぎてメンタルがもたなくなってしまうから。だから冒頭に書いたように都会に行けば常にイヤホンを付けるし移動中だって大通りからは一つ外れて歩くようにしている。
でも、そんな器の小さい僕だからこそ、好きな人たちや物事に対してはしっかりと心を開いた状態で接していたいなと思います。
意外と大切?上手な心の閉じ方
そんな時のためにも、ゲームでいうところの『MP』のようなものを節約する必要があって。
特に内向的な人にとってはそういう工夫って必要じゃないかなって思うので、僕なりに工夫していることをまとめてみました。
◻︎腕を前に組む
◻︎スマホの通知オフ
◻︎帽子で視覚を遮断
◻︎イヤホンで聴覚を遮断
◻︎マスクで人目/嗅覚を遮断
◻︎腕を前に組む
腕を前に組む行為は自分と周囲との間に壁を作るという心理的効果があります。人と接する時には心象が良いとは言えないので避けるべきですが、例えば人混みで待機する時や、ウィンドウショッピングの最中なんかには使えるかなあとか思ってます。
◻︎スマホの通知オフ
現代人はスマホによって世界に常時接続されている状態。通知までオンにしているとその度に反応して神経がすり減らされてしまいます。「仕事で必要だから」という人も、夜の間だけでも通知をオフに設定してみては?因みに僕はiPhoneの設定で『22時〜7時59分』までは通知オフ設定です。
◻︎帽子で視覚を遮断
メラビアンの法則って知ってますか?人が受け取る情報は、五感の中でも割合が違います。そんな中で視覚が受け取る情報は全情報の8割以上と言われています。精神的に疲れている時にたくさんの情報を受け取るとどんどんメンタルがすり減っていってしまうので、ツバ付きの帽子なんかで資格を遮断してみると良いかも。でも事故にはくれぐれもご注意ください。
◻︎イヤホンで聴覚を遮断
人混みで色々な話し声が入ってくるのも気が散るので、買い物なんかにいった時にも会計以外ではイヤホンをしていることが多いです。因みに聴いている楽曲は気分や時間帯ごとに変えたりしています。『朝に聴く曲』『夕暮れ時に聴く曲』『落ち込んでいる時に聴く曲』などなど。あなたも作ってみては?
◻︎マスクで人目/嗅覚を遮断
今のご時世、マスクが当たり前なのでアレですが....。マスクは一眼を気にしがちな人には最適なアイテムで、うまい具合に自分の世界に閉じこもることができます。逆にいうと何かを吸収したい時、僕の場合はマスクが邪魔なのでなるべく外すようにしています。
そんなこんなで本日はなかなかに消極的なライフハックでしたが、自己防衛として必要な時もあるかもっていう話でした。
ところで僕の大好きなAqua Timezの『エデン』という歌詞の中にこんな一説があります。
雨の降る日に傘を開くようにね
晴れ渡る空の日は心開いていよう
何もいつも心を開いている必要はないけれど、綺麗な景色をみる時や、大切な人と過ごす時には心を開ける状態でありたいですね。
そんなこんなで今日はこんな感じで終わりたいと思います。
最後までご覧頂きありがとうございました。
SNSと日常
朝起きてすぐAmebaブログを開く。
最近の僕の1日は、昨日の日記とそれに付随するワンテーマを執筆する所から始まる。
その後ははてなブログを開き、今この文章を書いている。
朝はなるべくアウトプットの時間に出来たらと思っているので、ここからのルーティンもどんどん作り上げていきたい所で、最近はテンポよく出来ているから良いなぁと思ってる。
そんな訳で本日はSNS運営とかの話。
なんか色々始めたせいで写真が使い回されてるからどんどんストック溜めなきゃいけんな。半強制的に写真撮る練習にもなるから前向きに考えよ🙄
— たお|シンプルライフ (@tao_diary) April 11, 2021
運営しているSNS
僕って割と沢山SNSを運用してます。 一覧にすると
◻︎Twitter ◻︎Instagram ◻︎note ◻︎Amebaブログ ◻︎はてなブログ
あとこれから導入予定として
◻︎YouTube ◻︎radiotalk ◻︎その他ライブ配信
あたりも考えているところです。
発信に追われる様に学ぶ
そんな風に発信を続けていると、自分の薄っぺらさが嫌になる事がよくある。
「なんか自分、同じ事ばっかり言ってるなぁ」
みたいに感じるのです。
だからネタを補充する為にたくさん人と話して、色々な体験をして、色々な勉強をする。
それって消極的な様だけど、良いサイクルだなぁって。
よく作家さんのエピソードで「編集者に急かされて〜」みたいな話が出てくるけれど、個人でも同じだなって思うのです。
「〇〇までに△△を出さなきゃ!」
ってなれば自ずと学ばざるを得ない。だからメディアって一歩先を行くメンターみたいな存在なのかもしれないなぁとかも考えたりもする。
僕みたいな自制心弱めな人間ほど、そういうふうに必要に迫られて色々動いていくのが大切で、それを繰り返しながら習慣や日常を作っていくのがきっと大切なのです。
複数のSNS運用をする上で意識してること。
そんな感じでイマイチ話はまとまらないけれど、それらのネタをSNSに投下していく上で気をつけている事。
◻︎各々目的を作る ◻︎別々にやらない👈 ◻︎同じ事をしない
堀江貴文さんがよく「原液を作れ」という発言をされています。そういう意味では2つ目が1番大切なのかも。
情報を日々発信していて思う事があります。
それは「それぞれのメディアで別々に運営してたら時間が足りな過ぎる」ということ。
発信に迫られて色々な事をしてみる、という話と矛盾してる気もしますが、別に発信するために生きてる訳でもない。
バラバラに沢山の事をやろうとするのではなくて、1つ濃度の高いものを作る事で、効率よく発信活動をして行けたら良いですね。
それでは最後までご覧頂きありがとうございました。
アウトドアとグランピング
このあいだ後輩から「フリーサイトだったキャンプ場がグランピングサイトになってしまった」という話を聞きました。
これまでであれば少しだけ管理手数料を払い、自分達でテントを張ったり食事を用意したり、比較的自由に出来ていたはずの場所。
それがサービス料としてお金を取られ、テントの場所も決められ、食事は前もって用意されている。
そうやってパッケージ化されているのは確かに便利なのだけど、それってアウトドアの魅力が半減しちゃってないかな?
そんな話をしながら「なんだか悲しいな」って思ったのです。
そんな訳で今回はグランピングについて触れていきます。
アウトドアシーンが流行っていると言いつつグランピングなんかは週末に手軽にできるレジャーだから、パッケージ化されているという意味で考えるならそれはディズニーランド行ってるのとあんまり変わらないような気もする。難癖つけるみたいでアレだけどね。
— たお|シンプルライフ (@tao_diary) April 9, 2021
そもそもグランピングって?
さいきん人気のグランピング。
元は“glamorous”と”camping”を掛け合わせた造語らしい。
「グランピング(優雅なキャンプ)」
って事ですね。
イギリスと貴族達が郊外でレジャーを楽しんでいたのが元だそう。
こういうある程度用意されたキャンプ場が、再び海外で流行り出し、10年ほど前から日本にも上陸して来ているという事らしいですね。
コロナ禍って事もあって比較的密にならなそうな事が人気になるんでしょうね。
パッケージ化された楽しみだけじゃつまらないよね。
そんな背景もあって、グランピングはある意味
「パッケージ化された楽しみ」
って言えると思います。
これは気軽に非日常を楽しめる反面で、そこまでの過程がないから“それ“がどれだけ貴重か理解できなかったりするんじゃないかなって危機感を感じてたりします。
考え方にもよるけれど、アウトドアって道具を揃えたり、自分達で計画を立てたり、何を食べようかどうやって調理しようかみたいな所まで含めて体験するのが醍醐味だと思ってます。
だからグランピングみたいなものはたまには良いけどメインになるには何だか味気ない。
「初めから用意されている」って意味で言うと、本質的にはディズニーランドと変わらないのでは?とか思ったりもしてしまう。
(てかそもそも、土地が限られてる日本は元々キャンプサイト自体区分けされてるので、それ以上の事をやる必要があるのかって感じです。)
日々を主体的に楽しむには?
そんな訳で、少しグランピングには懐疑的な考え方をしているのだけど、日常でも同じ様なことって起きてるなぁって。
例えば
「〇〇コース」
「〇〇プラン」
「〇〇セット」
「〇〇ツアー」
こういう物って「自分で選べない」ですよね。
飲食店ならセットでお得になる場合もあるけど、旅行なんかだと自分で探す楽しみを奪って挙句手数料を取られてしまう、、
(散々ディスってますけど別に利用しないわけではないですよ、ただ“それが全て“と思っちゃうのは嫌だなぁって)
そう考えると、改めてDIYって本当に大切だなぁって思うのです。
「何でもお金で解決しようとしない」
「完成物を買わず、ある物で工夫する」
「プランを選ばず、自分で計画立てる」
もちろん全てはやってられないけど、こんな時間も思い出にできたら良いなって思う今日この頃なのでした。
それでは最後までご覧頂きありがとうございました。
暮らしとムダ。
たまにコンビニへ行くと、なぜかトラベル用品のコーナーに足が向かってしまいます。
そこにはたくさんのスキンケアグッズや細々とした日用品がコンパクトに収まったリキッドバッグなんかが売っていたり、持ち歩き用に小さくなったワックスやスプレーなんかが売っていたりする。
僕としてはその半分くらいは使っていない物なので買ってもムダではあるのだけれど、その収納アイディアにあやかるためについ買ってしまうこととかもあって。その結果として自分の身の回りの物たちがアップデートされたりなんかもする。
そう考えると進歩ってムダ空生まれ得るのかもしれないなあと思ったりもする今日この頃なのでした。
そんなこんなで本日は、そんな暮らしとムダのお話を。
ムダってなんだろう??
そもそもムダってなんでしょう?
僕の考えるムダの定義は
『生きる為に必要ない全てのもの』
栄養さえ摂れてればカロリーメイトだけでも良いかもしれないし、雨や風が防げるのなら屋根と壁さえあれば良いのかもしれない。
ムダを自体を定義してしまうとこういうことになって、何かミニマリストを『修行僧』のように捉えている人は、たぶん『ミニマリスト』を『ムダのない人』と履き違えているのではないかと思っている。
実際にそういうミニマリストの方もいるのであながち間違いではないのですが、それは果たして幸せなんでしょうか?
ムダが発見に繋がる
その答えを僕なりに出すのであれば、『最終的には人それぞれ』としか言いようがありません。
僕の中でのミニマリストの定義は『自分の中の最小限を知っている人』のことで、要は知ってさえいれば良いと思っています。
なぜなら「僕はこれくらいのお金と物があれば十分幸せに暮らせる」と言う基盤があれば、何か失敗をしたり、病気や怪我を追ってしまってもその『十分幸せな最小限の自分』に着地することができるから。
要するに何か転落した時のセーフティネット的な役割をしてくれると言うこと。
だからそれ以上の暮らしをすることも、逆に言えばそれ以下の暮らしをすることもゲームとして楽しんでおくくらいが良いのじゃないかと思っています。
それ以下の暮らしって楽しいのかって話ですけど、これはこれで無駄が多くて、それでいて色々な発見があったりもします。
例えば僕の場合なら、便利なはずの電子レンジを「使わない」って決めて生活をしてみています。
それは去年の夏にアウトドア関連の遊びにハマってしまったことによって、
『今屋外に放り出されても生きていけるのか?』
なんてことについて考えるようになったから。
でもそんなことってほぼ起こり得ないし、多分考えるだけ無駄なまま一生を終えそうな気もします。
でも電子レンジを使わないと決めることで、例えば湯煎袋と言うものを知りました。普通のポリ袋とは違って耐熱性があって、お湯の中に入れて温めたりことができるというもの。
これによって僕は『蒸す』という今までの自分の持ち物ではできなかった調理法を発見しました。
こんな風に一見ムダに思えることにも、いやムダなものからこそ新しい発見があったりするから面白い。
子供の頃にしたキックベースだって「バットがないけど野球をしたい」からだったりしますよね。
だから修行僧のようなミニマリストを見かけたら「それって不便じゃん」じゃなくて、「そう言うゲームをしているんだな」っていう目でみてやってください。
程度の差はあれ、僕もその一人ですし。
たおの好きなムダ(=趣味)
そんな感じで話してきましたが、ムダを削っていった上で残ったムダは趣味だと思ってます。
僕の場合なら、
◻︎楽器
◻︎書籍
◻︎ガジェット
◻︎ミニマリスト👈
◻︎etc...
実はミニマリストもムダ(趣味)の1つと言うのは前述した通りで、ミニマリズムによるムダの探求から、新しい発見を見出すとかいうゲームを楽しんでいるのかなあ...
(「〇〇なし生活」は不便だけどゲームとして楽しいから辞められんのよなあ)
そんなことを思いつつ。
趣味って『生存のために必須なもの』ではありません。
でも趣味は間違いなく人生を豊かにします。
それをムダだから不要と捉える人はいないはず。
だからミニマリストとかいう『ムダ』も、少しは許容してくだされ、楽しいので。
なんだかまとまりのない文章だけど、今回はそんな感じで終わりたいなと思います。
それでは最後までご覧頂きありがとうございました。